皆様、おはようございます。TOSHIXXXです。
また、この日がやってまいりました。本日は言わずと知れた坂井泉水さんの命日。我々ファンにとっては忘れることなどできない、特別な一日でございます。
今年はZARD及びビーイング系アーティストが日本中を席巻していた、1993年から丁度30年。後述しますが、ワタクシにとっても人生のピークだったあの頃。
そこで今回は、この年に発売されたZARDの出世作にして最大のヒットアルバム「揺れる想い」を解説しながら、在りし日の坂井泉水さんに思いを馳せたいと思います。
1.伝説になった1993年
1993年。ワタクシは当時高校3年生でございました。
春のセンバツ高校野球で隣にあった上宮高校が初制覇、大いに盛り上がっておりました。阪神淡路大震災やオウム事件が起こったのは2年後ですから、今思えば当時の日本は本当にいいことしか起こっていないような国でした。そして経済的にも豊かだった。ちびまる子ちゃんやサザエさんのような日常を、格差の無い一億総中流を、誰もが当たり前に信じていられる国でした。
時代的には長きに渡る冷戦が遂に終結し、まだそんなにバブル崩壊も深刻には捉えられていなくて。その後のグローバル化経済で日本が一人負けして、長期低迷=失われた30年を迎えることなど、誰一人予想していなかった・・・。そんな平成初期でございました。
インターネットが普及するまでは絶好調だった音楽業界。その中でも当時覇権を握っていたのはビーイング系のミュージシャン達でした。
1993年の年間ランキングでシングルはトップ10の内6作(ZARDは「負けないで」「揺れる想い」)、そしてアルバムも5作がチャートイン。
そんなビーイング系の中でも、「負けないで」のスマッシュヒット以降、ZARDはWANDSと共に頭一つ抜けた存在になっておりました。
ライブをしていなかったことで、商業主義だと叩かれることもありましたが、今思えば楽曲のクオリティは言わずもがな、更にはアイドル顔負けのルックスでこれだけの歌唱力。
顔さえ良ければ実力が低くてもまとめて売り出す。今の秋元康さんのやり方を勿論全否定はしない(私の青春時代はアイドルにとっては暗黒時代でしたから)ですが、やはり歌謡界のレベルを低下させた面は否めない。芸能も、すっかりデフレ化してしまったんですよね・・・。
今、ビーイング系の作品が再評価されているのはようやく真摯に音楽に向き合っていた姿勢が認められたから。ワタクシは、そう確信しております。
今回はディルアングレイ「GAUZE」、BUCK-TICK「darker than darkness」と共に自分の死後、共に埋葬してほしいベスト3アルバムの一角にして、見事に1993年の売上№1アルバムに輝いた「揺れる想い」を取り上げたいと思います。
2.「揺れる想い」全曲ミニ解説
それでは「揺れる想い」の全曲ミニ解説を。
① 揺れる想い
1993年5月23日発売。いきなりのタイトルチューンでこのアルバムは幕を開けます。
「負けないで」の大ヒットから始まったZARD旋風。この曲は自身2度目のミリオンセラーとなり、人気を不動のものとした1曲でした。
まあ全てが完璧なんですよね~。イントロから初夏のイメージがしっかり伝わるし、段々関係が進化していく、正に恋の観覧車上昇中💛みたいな歌詞の世界もいいですし、当時最強のタイアップと言われた、ポカリスエットCMソングでもありましたし。
正に死角なし。正直なところ、完成度は「負けないで」より上だと思います。
「負けないで」はいわばヒットするかどうかもフィフティフィフティ的な、どこか探るようにして作られた感があるんですが、この曲は絶対にヒットする。その確信に基づいて、ミリオンセラーを逆算して作られた。当時の最強ビーイング系スタッフの絶対的な自信を感じます。
そう言う点ではもっとAIが進化し、創作シンギュラリティを果たしたなら、「負けないで」はさすがに無理だとしてもこの曲レベルなら作れるのでは。そんな気がいたしますね。
② Season
この曲、当時の同級生(男子校でしたが)はざわついてましたよ。ヤバない!?泉水ちゃんがこんなクサクサソングを作ってしもたよ~って。
高校生位まで?の女性の片思い。それを懐かしく振り返るという歌詞ですが、今までの都会のいいオンナ風の方が虚像で、こちらがコアな坂井泉水さんだった。今では皆さん確信してますよね(*^^*)。
例えるなら同年まだインディーズだった黒夢が、後にポップ路線(最後はパンク路線になりましたが)になり、初期のダーク路線は売れるためにやってたんだよん♬的なカミングアウトをした感じ、ですかね。
まあそんなビジュアル系の例を出さずとも、93年のWANDSの上杉昇さんは正にこの、本当はやりたくない路線、でZARDと双璧をなしていた・・・。音楽ビジネスって、本当に因果なものだとつくづく感じます。
まあそんなこと言いつつもワタクシ、今でもこの曲は5本の指に入る位大好きです(笑)。そうですね、坂道グループやKーPOPの片思いみたいな、どこか男(オタク)に媚びてるいやらしさがなくて爽やか。このアルバム、この2曲目まででもう、マスターピース確定!ですよね~。
③ 君がいない
イントロから変化球。こちらは一度も観たことがなかった日テレドラマの主題歌。シングルとしてはそこそこ売れたんですが、やはり「負けないで」と「揺れる想い」に挟まれてますので、正直、地味かな・・・と。
まあ次の「揺れる想い」に照準を合わせていたからこそ、敢えてサウンド敵には冒険したのかな。とも思えます。同系統のシングルが他にはないことを考えても、今思えば貴重な1曲だったと感じますね。
前年リリースのシングル。これはいわゆる「HOLD ME」までのいいオンナ路線の最後の1曲。そう言えるのではないでしょうか。
余談ですが、このシングルが主題歌だったTBSドラマ「学校が危ない!」は印象に強く残っておりまして。
若かりし頃の森尾由美さんも素敵でしたが、生徒達に体罰をしていた教師役の田中健さんが闇落ちしたのは、陰湿な職員間でのイジメが原因だった・・・。正にトラウマになりそうな展開でございました。
まだパワハラという言葉はおろか概念すらなかった時代ですが、今思えばかなり時代の先を捉えた作品だったんだな。そう感じます。
⑤ あなたを好きだけど
今作はストーリー性の高い詩世界の連続で、坂井さんのイマジネーション力がふんだんに発揮されてて本当に素晴らしいんですが、この曲の歌詞だけはどうにもテンプレ的な感じがぬぐえなくて。
いわゆる年下の彼氏と付き合う女性の話なんですが、ワタクシ思うに坂井さんは付き合う男性は年上じゃないと無理。そういうタイプだったんだろうな。だからこの曲の女性の気持ちは中々理解が難しかったのではないのかなと。
まあ平成初期はもろ昭和の延長でしたから。百歳超えたきんさんぎんさんが、当時レジェンドになってたのと同じ。令和の世なら姉さん女房と100歳超えた高齢者の方なんて、珍しくも何ともないですからね~。
⑥ 負けないで
ZARDの歴史に大きな影響を与えた、正にエポックメーキングな1曲。数ある白鳥麗子作品の中で、この曲は松雪泰子さんが主演でございました。
「負けないで もう少し 最後まで走り抜けて」この伝説のフレーズ、今となってはロスジェネ世代の私達には特に刺さります。
当時はまだ少子化ではなく、いわゆる最後の受験戦争世代、それからも就職氷河期、ブラック労働、そして年金減で死ぬまで働かないといけない。それで人生100年?懲役100年の間違いでは!?
はあ、悠々自適な団塊の世代の方々とは、天と地ほども違う老後・・・。ホントにハズレクジ世代のワタクシ達ロスジェネですが、死後にはきっと坂井さんが手を振って我々を迎えてくださる。そう信じて、頑張りましょう!!
⑦ Listen to me
この曲はいわゆるOL応援歌。坂井さんも社会人経験がある方なので、女性に向けた「負けないで」とも言えますね。
全体的に働くことの悲哀や、悲壮感は皆無で、コミカルかつユーモラスに描かれているのはやはりまだバブルの香りが残る平成初期だからでしょうか。この当時は、女性もほぼ正社員。派遣社員なんて存在、皆無でしたからね・・・。
⑧ You and me(and・・・)
友達と同じ人を好きになってしまった。まあそんな青春時代にはあるあるの展開を描いた一曲なんですが、ワタクシ、この曲には坂井さんの詩世界の女性像が正に全開だなと。
よくよく歌詞を観てみると略奪愛とかではなく、嫉妬でもなく、自分で勝手に傷付いて苦しんでいる感も強いんですが、この当時はトレンディドラマが全盛でしたからね~。最後まで意中の彼と結ばれた友人を祝福できずに、冷戦的バッドエンドな終わり方の歌詞ございます( ゚Д゚)。
まあ当時は離婚する人もけた違いに少なかったですし、恋愛にやり直しがきかないと言いますか、そういう重みが今とは全然違う気がしますよね・・・。そんな余白を感じる心象風景もあってか、今でもファンの間では人気が高い一曲です。
⑨ I want you
以前のブログでもお話した通り、坂井さんはワタクシにとっての心の姉。だから敢えてこの台詞をお許しいただきたいと思います。
「あのさ、姉ちゃん、毎度毎度不倫系の歌のリアルさ、ガチでヤバいんだけど(苦笑)」
まあ真相は勿論藪の中ですが、このアルバムの後に出たシングル「もう少し・・・後少し・・・」は正にこの不倫系の最高峰!もう一歩間違えばホント、ストーカーですから。
今思えばヒットしたドラマで雛形あきこさん主演のストーカーものとかがありましたし、実は男の方が女々しくてヤバいという事実が分かったのは令和の御代になってからでしたね。
⑩ 二人の夏
最高ですね。高校3年当時、ワタクシは受験勉強そっちのけで小説ばかり書いてましたが、この曲には非常に感銘を受けまして。
歌詞をモチーフに短い掌編小説を執筆。仲間内だけではありましたが、中々好評ではありました。
まあこれも画一的な価値観が世を支配していた平成初期だからこその歌だと言いますか。同性愛なんて多重人格と同じ位ありえない。女の幸せは結婚して子供を産むこと。まだまだそんな価値観が強かった時代ですから。
今の多様性ウェルカムな価値観。それは正に「風の時代」らしくていいんですが、ある意味何でもありになってしまうとやっぱりこういう胸が苦しくなる程の名曲は、出てこないですよね。
勿論、今はまた別のタイプの名曲が存在してるんですが。少なくとも、今のヒット曲は感覚重視というか、人間の感情はだいぶ後回しにされている気がしてしまいまして。
非常に分かりにくい例えですが、タイブレイクや球数制限がなかった時代の高校野球のヒリヒリ感。それに通ずる感動がこの曲にはあると思います。
個人的には堂々の締め曲で、ワタクシ的にこのアルバムのベストトラックでございますね。
3.かけがえのないもの
栄光の1993年から丁度30年。その間に、ビーイングも、音楽業界も、そして日本も大きく変化していきました。
根っこはよく似ている。もうかつてのスペインや大英帝国のように、全盛期は戻ってこない。過去の遺産で何とか食いつないでいる。
悲しいことですが、いい時期はずっと続かない。寧ろ凋落したと言われながらも空中分解せずに存続できているということは素晴らしい訳でもあって。
そしてビーイングと日本が令和の今、奇しくも切り札としようとしているのはどちらもAI、つまりは人工知能では無いのか。個人的にはそう考えております( ゚Д゚)。
今までのフィルムコンサートの流れを見ても、坂井泉水さんのAIが遅くとも2030年前後には登場するのは不可避ではないでしょうか。
まあ、倫理面も含めて色々な意見が飛び出すことでしょう。しかし、否定的な意見を出すのは意外とファンではない、いわゆる外野の方が多い気がします。
その生き方が多くのフォロワーを産んだ、美空ひばりさんのAIを作る(実際、NHKではそんな企画がありましたよね)のは、正直、個人への冒涜だと思ってしまいますが。
しかし、アーティスト坂井泉水は、全盛期の頃からずっと神秘のベールに包まれ、ある意味今でいうVチューバー的な存在だった。
だから坂井さん自身も許してくれるのではないかと。坂井さんの信条・価値観をディープラーニングしたAIが登場し、新たな詩を作ったり、ライブを開いてくれるなら、それは自身が完結できなかった私達ファンへの報いになる。そう感じてくれるのではないでしょうか。
どんな形であれ、坂井さんは私達ファンの笑顔を見ることが一番大好きだったはずだから。
これからはますます何が起こるか分からない、不安定な時代だと思います。しかしその中で坂井泉水AIはきっと一筋の光になる。そしてもしかすると、今回ご紹介した「揺れる想い」を超える作品をも完成させるかもしれない。
ちゃんちゃらおかしい夢物語と言われるかもしれませんが、ワタクシはそんな未来を密かに夢見たいと思うのであります。
4.おわりに
いかがだったでしょうか。ZARDのアルバムはいつもハイクオリティで、甲乙つけがたいんですが、やはり№1と云えば「揺れる想い」を推す方が多いのではないでしょうか。
いつまでも色あせることの無い、坂井泉水さんの歌声と記憶。それでは今年もそんな坂井さんに捧げる花を。歌姫、坂井泉水よ、永遠なれ。
本年も長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。