ZARD 幻のインディーズ的作品!? 「もう探さない」~坂井泉水さんを偲んでⅦ

 皆様、おはようございます。TOSHIXXXです。

 また今年もこの日がやってまいりました。ZARDのボーカリストにして不世出の歌姫、坂井泉水さんが永眠されて早17年。本日が命日でございます。

 今年も在りしの坂井さんを偲んでいく訳なんですが、ご紹介するアルバム(正確にはミニアルバム)はかなり初期のモノ。

 今回は、2nd「もう探さない」(1991年12月25日発売)について語って参りたいと思います。

 

1.はじめに

 皆様が最初に購入したZARDのアルバムは、どの作品でしょうか?

 これだけ毎年坂井さんのことを語らせていただいているにも関わらず、ワタクシはいかにもミーハーな「揺れる想い」(苦笑)。最大のヒット曲「負けないで」等が収録された、言わずと知れたZARDの代名詞的アルバムですよね。

 まあそこから新譜は勿論、旧作もチェックしていくことになるんですが、その過程でワタクシ的に一番刺さったのは今回紹介する「もう探さない」。音源をテープに落として、大学の通学途中にウォークマンで聴いておりました。

 この頃のワタクシはいわゆるビジュアル系バンドにどっぷりハマっておりまして。彼等のブレイクに至る方法として、インディーズでマニアックかつインパクトのある作品を発表して(オリコンインディーズチャート1位獲得がマスト)、満を持してメジャーデビュー。そこからは段々ポップ路線に走ってメガヒットを飛ばし、一般人にも知られる存在となる。そういう方程式がありました。

 LUNA SEA(「LUNA SEA」)、黒夢(「亡骸を・・・」)、ラルクアンシエル(「DUNE」)なんかがその代表ですかね。

 ZARDは勿論最初からメジャーデビューしたので、こうしたインディーズ期みたいなものはないんですが、余りに当初とブレイク後の音楽性が異なることからワタクシ的には、上記のビジュアル系的成功の方程式が当てはまるのかなと感じるんです。

 例えるならば、「揺れる想い」の一つ前の「HOLD ME」が実質的なメジャーデビュー作。その前はデビューアルバム「Good-bye My Lonliness」と「もう探さない」なんですが、前者のクオリティは正直キツくて。とても聴ける代物ではなかったと。

 一方「もう探さない」は女性の深い内面、そして同じビーイング系大黒摩季さんやMANISH等とは明らかに一線を画すダークさを持っていた。換言すればそれがZARDの出発点だったとワタクシは考えているんですね。

 恋人は当然として、友人さえもほとんどいない。陰鬱なビジュアル系を聴きまくり、京極夏彦さんの京極堂シリーズや角川ホラー文庫作品を愛読し、日本ホラー小説大賞に小説を投稿していた、正に元祖陰キャ(涙)大学生だった30数年前のワタクシ。

 そんなどうしようもないダメ人間の琴線に初めて触れた女性アーティスト作品が「もう探さない」であり、坂井泉水さんでございました。今と違って、当時はアイドル不毛時代でございましたからね。

 明らかに他のZARD作品と異なるダークなジャケット写真も、ビジュアル系好きには堪りません、今でも大好物です(笑)。それでは前置きはこの辺りにして、全曲ミニ紹介へと進んで行きましょう!!

2.「もう探さない」全曲ミニ紹介

①不思議ね・・・

 2nd シングル。

 1st「Good-bye My Lonliness」はドラマ「結婚の理想と現実」主題歌としてスマッシュヒットしましたが、この作品のセールスは芳しからず。明るい曲調で失恋を歌う、いわゆるZARD作品の原型は見えるんですが、いかんせん全体的に線が細く、制作陣としてはまだ今後の方向性に迷いがあったのかなと感じます。

 

②もう探さない

 表題曲にして3rd シングル。このシングルから表記がZardからZARDに変わりました。

 全編ドマイナー調にして、セピア色に染まった海岸で坂井さんがはしゃぐPVもちょっと怖いので、個人的にはかなりマニアックな楽曲(勿論ワタクシ的には最大の誉め言葉です!)だと思っているんですが、意外にもこの曲もドラマ主題歌でございました。

 賀来千香子さんが主演されていた「七人の女弁護士」シリーズの主題歌らしいんですが、ドラマ自体含めて全く記憶にはございませんね・・・。セールス的にも大惨敗でございました。

 やはりZARDの歴史を大きく変えたのは次作の「眠れない夜を抱いて」だったかなと思います。大ブレイク前のエポックメイキング曲、これもビジュアル系のビッグネーム達が辿ってきた道に符合するんです。

 例えるならLUNA SEA「ROSIER」、GLAYyes,summerdays」、ラルクアンシエル「flower」に当たる一曲が「眠れない夜を抱いて」だったと。

 話が逸れましたが、この頃まではZARDの大ブレイクをビーイングサイドも全く予想していなかったのではないかと思いますね・・・。

 

③素直になれなくて

 ZARDの初期の名曲としてファンにはお馴染みですが、元々は「不思議ね・・・」のカップリング曲。しかし今では表題シングルよりも高い評価が付いてます。

 今の若い方には分からないかもですが、いわゆるB面曲に佳曲が多いZARDのDNAはこの頃からしっかり根付いていたんですね~。

 

④ひとりが好き

 最高ですね!!ラストの「いつかは・・・」はワタクシの中では別格の存在なので、単純な比較はできませんが、それ以外で云えば、間違いなく今作の№1ソングだとワタクシは確信しています。

 アレンジがとにかくいいんです。シンセが終始メジャーなのに泣いてて、無垢な失恋の痛み、切なさを見事に表現できている。

 そして歌詞は二股掛けられて捨てられた女子そのものでして。「キミだけだよ なんて信じて・・・」「もう気にしないで ひとりがこんなに好き」「こぼれ落ちた涙の数 あなたを思う深さなのね」

 う~ん、実に重い!!ここまで来るとある意味黒夢の「亡骸を」に通ずるネガティブ感がございます( ゚Д゚)。まあ、今では女々しいのはすっかり男の方ですけど。

 そもそも坂井さん程の女性がこんな目に遭うとは到底思えないんですが、平成とはいえほぼ昭和だった当時の恋愛事情が伝わる一曲でございますね。

 

⑤Forever

  正直このアルバムの中では浮いてる気がします。しかし雄大な🎸サウンドやコーラスは正に王道のビーイングサウンド。この曲の歌詞カードでは他のメンバー(当初は一応ロックバンドでしたからね)の貴重な姿も目にすることができますよ!!

 

⑥Lonley Soldier Boy

  この曲もアップテンポなギター、少しきわどい歌詞といった初期ZARDらしさ全開の一曲。まあ今と違って、当時は全然多様性の時代じゃなかったですからね。まだ失われた30年どころかバブル的価値観全盛、恋愛至上主義真っ盛りの世の中が続いていて。

 こういった路線を「揺れる想い」からは完全に封印していることも、ワタクシ的にはこの作品をZARDの(幻の)インディーズ期と位置付ける要因でございまして。この頃の坂井さんはジャケットに革パンで、正にメイクゴリゴリのインディーズ時代のビジュアル系レジェンド達と被っている気が(笑)。

 

⑦「いつかは・・・」

 次の記事へと続きます。

3.「いつかは・・・」徹底考察

 坂井泉水さんの命日に追悼記事をアップするのは、今回が8回目でございます。

 第1回の記事にもこの歌への思いをつづりました。坂井さんが自身で作曲もした数少ない曲で、何と云ってもまるで後の自身の悲劇を予見していたような歌詞が衝撃でして。「負けないで」や「揺れる想い」とは全く別のベクトルで、ずっとワタクシの心に刺さり続けている曲でございます。

 でも今は、その頃とは少し違う解釈になってきています。ワタクシはオカルトや都市伝説には人並み以上に魅かれてはいるものの、いわゆる陰謀論には懐疑的でして。

 予言とかが当たった方がある意味人生は楽なのかもしれない。しかし、この世界とはそんなに単純なものではない。ああ、ずっとそのことは分かっていたはずなのに、どうして今まで「いつかは・・・」を不吉な予言ソングに貶めようとしていたのだろうかと。反省ですね。

 「いつかは・・・」に対してワタクシが出した結論は、不治の病に侵された女性が恋人に向けたメッセージ。とかではなく、まだ何者でもなかった坂井さんが、私達未来のファンに向けて苦しい胸の内を歌っていた。そういうことなんだと。では改めて、歌詞を辿っていきましょう。

 ”残された日々 夢を見させて どんなに時間を 縛ってもほどける あとどれくらい生きられるのか”

 一見、自分の人生の長さに思えますが、そうではなくてこれは自身のアーティストとしての寿命のことではなかったかと。あとどれくらい、自身はプロの歌手として生きていくことができるのか。

 ZARDの輝かしい歴史の中で、この時期が唯一売れていなかった頃でして。元々坂井さんは20代後半と、当時としては遅いデビューで、しかも今でいうジジババ系ドラマでいいオンナ風のドラマ主題歌を歌わされて(!?)いた。

 扱いとしては決してビーイングの大エースという訳ではなかった。そう感じます。

 当時で云えば坂井さんと同い年で既にBBクイーンズやMi-keで大ブレイクしていた宇徳敬子さんの方が、有名で将来も期待されていたでしょうし(1991年末には2年連続で紅白歌合戦に出場していました)、後輩の大黒摩季さんやMANISHとかの方が、若者向けでキャッチ―な路線を用意されていた(まだデビュー前でしたが、今思えば)のではないかと。

 当時のZARDは曲もビジュアルも、明らかにアダルト(オジサン受け・スポーツ新聞的)路線。全然ティーンをターゲットにしていない。それ故、もしデビュー曲のようなヒットが続かなければすぐに消えてしまう・・・。そんな危機感が当時の坂井さんにはあったのではないかと思うんです。

 だから不幸にしてご自身の人生にクロスした部分はあるにせよ、当時はあくまでアーティストとしての遺書、そしてそれだけの覚悟を持っての背水の陣ソング。それが「いつかは・・・」だったのではないかと。

”いつかは情熱も 記憶の底へ 愛し合う二人も セピアに変わる”

”いつかは新しい恋に おぼれる 過ぎゆく季節さえ 気付かないまま”

 この二人とは坂井さんと我々ファンのこと。当時は驚く程少なかったであろうZARDファン。今は応援してくれていても、すぐに他のアーテイストに乗り換えられるかもしれない。坂井さんはそんな不安をそのまま歌詞にしたのではないでしょうか。

”忘れないでずっと あなたの中に 生き続けるわ”

 オカルト界では有名な、ヒトラーの予言も実は五島勉さんの創作だった可能性が高いらしいです。だからこの曲もとことん神秘的な意味を持たせようとすると「暗い日曜日」レベルの魔曲になってしまうかもしれないんですが、物事はあくまでフラットに見て、冷静に判断しないといけない。

 人生とは困難の連続であると同時に、退屈の極みなのかもしれない。だが我々はそこから逃げずに、粛々と生きていかないといけない訳でして。故にワタクシは今回こうして「シン・いつかは・・・」解釈論を推したいと思います。

 その解釈でいけば当然坂井さんの死も、不幸な事故だった。坂井さんはあくまで復帰に向けて最後まで私達との再会のために進み続けてくれていた。そういうことなりますからね。

4.おわりに

 という訳で、今年は知る人ぞ知るブレイク前夜の名盤「もう探さない」を取り上げさせていただきました。坂井さんを巡る旅は終わることはなく。まだまだワタクシにとって坂井さんを偲び、残してくれた作品に思いを馳せる日々は続いていくことでしょう。

 最後まで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。今年も自宅の近所で咲いていた花々を贈ります。歌姫、坂井泉水よ、永遠なれ。